2017年04月21日

怖い世界

なんだか最近思うこと。
新聞記事で見たのだが、SNSで他人の幸せを見聞きして、嫌な気分になる人が半数とか何割とか。(怖) どんだけ病んでるの? って人間だもの。
とは言っても。ひがみ、妬みやっかみ、人の心って哀しいな・・・そして怖いなと。


人はああでなんで自分だけが・・・というのもそうだけど。すべて、感情そのものっていうより、心の"持ち方"の問題なんだろうなと感じる。操縦法がおかしい。そういう人は変わろうとしないかぎり、ずっとその思考回路なんだろうなと最近思うこと、多い。


何を聞いても、どんな人の楽しい話を聞いても、一言居士というかね、心でひとまず!つっかかってフンとけなす、小さいことで即、鼻持ちならねえ・・となり、嫉妬、拒否してみたり。人の"ちょっと嫌だなという一部"が → なぜだか全面的に嫌="全部"になっていて肥大化したり、人に言われたちょっとしたひと言が自分の中で消化できず妄想に走ったり、人に何か指摘されたら即刻憤慨し素直になれなかったり(実は自覚しているが認めたくない)。


どんなことも、もう絶対に、素直に、へぇ〜それはよかったねぇとか 私ったらそうかな・・・とは考えない。というか、すでに考えられない回路になってしまったということか。たとえ嫌なことであっても、(ま、心で思っといてここは口には出さずにおこう)とはならずに、ついつい不平不満。気がつくと発言全部がいちいちグチになっている(が自分でもそれに気がつけない)という事態に。。。


・・・脳の回路っていうものは怖ろしいもので、少しは流す、譲歩/妥協することができないと、何事も素直には喜べない=いちいちいちいちひねくれた、その回路が日々「強化」されてしまい、もうどんなに楽しい嬉しいことであっても、楽しくも嬉しくも感じない、かわいそうな脳になって、意識して変えていかないかぎりは改善もない。特に人の良い出来事などとなると、即刻 焦りやねたみやっかみに変換されると思われる。


こうなってしまうと、まだ記事のように、「SNSで他人の幸せが嫌な気分になる」と自覚しているならまだしも、自覚なく、何を聞いても自分よりすごかったら即不快(・・・逆に劣っていたら優越感??)、みたいな、心の干からびた人が増えているのだろうか。
SNSがこれだけ蔓延すればSNS疲れというか当然の理かとも思うが、
いや・・・・、自覚していながらだから、余計怖いのか。


今、(心の)レジリエンスって言葉もわりと浸透してきたじゃん。ハーディネスとかもよく言われるけど。そういうものを子どものうちから育てていく方法、模索する時代に入ってきているのかなって。大人になって急には持てないわな。


人の波の中でもまれる経験、自分が大事にされてると思えることをどれだけ積み重ねられてきたかとか、「今まで」を総合した結果、心のさみしい、外面はよくても内面的には共感性に欠けた、干からびた大人になるか、またそうはならないか。あるいは多少は自分の胸に手を当ててそういう側面があるとは感じていても、気持ちを切り替えてしなやかに生きていけるか、 分かれるんじゃないかな。

それは裕福とか貧乏とか環境に恵まれている・恵まれていない という話ではなくてね。心のコントロールのしかたに表れ出てくるんじゃないかな。
posted by CHARLIEE at 23:09| 日常、他、思うことなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする